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2015・夏休み

昨年から恒例となった、子供たち(甥・姪)だけ冒険の旅。

今年も、札幌から子供だけで飛行機に乗り、待ちに待った根室で過ごす夏休み。
虎(息子小4)・姫(小2)も、いとこと過ごす夏休みをどれほど心待ちにしていたことか。

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浜では早速ばあちゃんの罵声が、容赦なく響き渡る。

『なんだ一本しか引っ張れないのか!!!まだ持てる!!!もっと持ちなさい!!!!!!!』

主人が、『子供になんて言い方するんだ!!いくらなんでもキツ過ぎるだろ!!!!』
って言わんばかりの顔で睨んでたのが私的に面白くて、
たぶん主人は幼少期、優しい両親からそんな罵声を浴びせられることなどあるはずもなかったと思うから。

子供たちをかばう主人の気持ちも有難いけど
不器用なばあちゃんが、あえて浜の厳しさを教えるとゆう愛情あってのこと。
私も、この子たちの母親(私の姉妹)もこう育てられたから大丈夫だょ…って思って

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私はもっと大声を張り上げた。

『はい!一本持ち禁止~~~限界まで持ってよー!!!
そこー!!!!立ち止まり禁止~~~!!!!
はい走ってすぐ戻る~~~~だらだらしなーい!!!そこ隙間あけな~~~~~い!!!!
じいちゃんにお小遣いもらってお祭り行くよ~~~~~~♪』

もはや昆布干し体験とか、お手伝いなどではなく、
見事な連携プレーを成し、手離したくない戦力になっていた。

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根室金毘羅神社例大祭。

我が家では連日昆布祭りの為、夜しか連れて行ってあげられず、
甥っ子小1クンを、人並みの中3回見失ってその都度目の前真っ暗になり、
自分で探しながら合流してきた気丈な精神力に立ちくらみがして、

思春期真っ只中であろう甥っ子中1クンが大当たりくじを引いたとき、
『お母さんの誕生日だから!!!プレゼントする』って溢れた笑顔に感動の鳥肌が立った。
ガラスで出来た可愛くて綺麗なドルフィンが涙で歪んで、
そして他の何よりも輝きを放っていた。

二日目のお祭りの夜、突然の豪雨を車まで全力で走ったね。

アパートの玄関見つけて逃げ込んで、
『いいかいみんな!!!パパが近くまで車移動させてるけど
進入禁止で入って来られない、おもいっきり走るよ!!!
後ろ見ないで車目指す!!!
決して雷に打たれないように!!!、絶対に生きて帰るよ!!!』って…

全員一瞬で私から走り去り車にかけ乗った、その逞しい生命力が誇らしかったよ。
この後、街は冠水し露店が半分の高さまで水の中に浸かっていたのを
翌日どこかのニュースで知ったという、それほどの豪雨だった。

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私が何かにつけ号令をかけると、一瞬で集まってくるところがたまらない。
夜のお勉強会は、皆で教え合って、笑いがいっぱいで楽し過ぎた。

『いい~なー仕事より勉強楽しそう♪こんな風に私も強したな~』って言ったら全員に

『え!?!?!?』 どこが!?って顔されちゃって。

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午後は思いっきり自由時間。
だいたいずぶ濡れになって帰ってくる。

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こんな毎日だから私、
午前2時に寝て、4時に起きる
そして起床時には決まって襲ってくる足のこむら返りとの戦いだったという…

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でもそんなことは本当にどうでもいい話で。
冒険して、怪我しないで帰ってくるという当たり前のような幸せには感謝すべきこと。

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今は沢山冒険して、これからそれぞれが歩む道を、力強く踏み出していきなょ。

言っておくけどいばらの道だよ。

何があっても、どんなに過酷でも自分に負けるな!!
諦めずに、 苦しい時ほど笑顔で乗り越えていきな!!!

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その為に、どんな脇役にも徹してあげる。

踏み台にして、大きく羽ばたいていきなさい。

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10日間程して、名残惜しくもみんなそれぞれ一番暖かな自分の居場所へ帰って行った。

そしてわが子も、私のもとへ帰ってきた。
1日100回くらい『ママ、ママ、』と言っている。

あの10日間、たぶん一度も耳にしなかった言葉だ。

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リヤカー。

 それは昔から家にあった。


 鮭鱒漁をしていた頃は確か4台くらいあった。

 大きく船名が書かれており、港で待機しているリヤカーを見ただけで、
何処の船が帰ってくるのか子供だった私でも察しがついた。

 荷揚げが始まると一気に活気づく港。

 後方に蓋を付けたリヤカーを船に着けると、
乗組員が二人がかりで籠3~4杯のシロサケを
リヤカー満タンになるまで空け入れる。

 凄い勢いなので、傾けたリヤカーを片足で押しながら
跳ね返しの力に必死で逆らう。

 リヤカーに狭苦しく収まっているシロサケを、
太いホースから勢い良く噴出す海水を操って洗うのは、決まって祖母の役目だった。

 歩かなくてすむ楽な作業のように見えるけど、
5月の歯舞では体の芯まで冷えきってしまい相当辛い。

 でもそんなことを微塵も感じさせないほど、祖母は強く逞しく
頑としてそこを動かなかった。

 乗組員の機敏な呼吸や祖母が洗い流すタイミングに合わせ、リヤカーを
シーソーの様に上下させると、サケは益々綺麗な白銀の鱗に輝いた。

 その瞬間、重いリヤカーのバランスに気持ちを集中させ一気に市場へ走る。

 あちらこちらで同じように走っているリヤカーや、
横行するトラックに決してぶつからないよう
気配を感じながら。

 『八広丸』と大きく書かれたスペースを目指し、
車輪止めにゴンっとタイヤが当たった瞬間、
リヤカーの蓋がタイミングよく抜きとられる。

 蓋を抜き取る人と息を合わせるように
取っ手を高く持ち上げると、シロサケがどーっと一気に流れ出る。

 もたつくと次のリヤカーが飛び込んでくるという緊張感と緊迫感。


中学1年生から手伝ってきた仕事…。

 
 あのころ大活躍していた リヤカーは一台だけ残されていて、
ごくたまに、ここぞという時、存在感を発揮する。

2013(H25).10月 063

 そんな 我が家に残っている1台のリヤカーが 愛おしくてたまらない。

なんだって 運べる…  そんな気持ちにさせてくれる。

 扱うのはもっぱら主人だけど(笑)
私だっていざとなったら。

2013(H25).10月 010

 経費がかからず、邪魔にならず、こんな生活に調和して
素朴な外見がなんとも素敵。

 この浜辺まで荷台に乗ってきたきたけど、
主人が引くガタゴト揺れる優しい乗り心地は本当に最高。

2013(H25).10月 048

 いつも主人の傍らに…  !プロデューサー巻き(笑)

そして、リヤカーは何も語りはしないけど…

 力強く、時には私の癒しとなって一緒に風になびいて

時には子供達とジャレてくれる。

2013(H25).10月 068

この輝かしい年季が

多くのことを感じさせてくれる。

2013(H25).10月 076

パパに軽トラ貸してあげて!!

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深夜のひとりごと。

人生っていうのは 平坦なわけでも まっすぐな訳でもあるはずがない。

山があり 谷があり どん底も見た気さえしてる。


誰だって いろんなことを 乗り越えてきてる。


私達 結婚して9年目を向かえ、

主人は漁師として 始めて船に乗って同じく9年目。


漁業を取り巻く環境が 巨大な渦潮みたいになって 

未熟な私達を 心無く グルグルグルグルかき回して

最終的には 真っ黒な海中深く 引きずりこもうとするばかり。


やっとここまで来たんだよ。


ん?  ここまで?


ゴールに向かっているとするなら 一歩でも進んでいるんだろうか。


なんとか飲み込まれてはいないという   ただそれだけ。


こんなに必死なのにだ。


もちろん 素敵な奇跡も沢山あった。

その最たるものっていうのは わが子2人に出会えたこと とか。


でも例えば今まで 本当にしんどい時とか くじけそうになったときの 励まし方って 

どんなに考えても 私はわからなかったし

これからだって やっぱりわからない。


どんな言葉なら 心に届くのかなんて 人それぞれだし、

『頑張ろうね♪』みたいな言葉は多用しすぎちゃってなんだし。

2012.9 033

↓(下の画像)海面に浮かぶ 向かって右の点がウキで 左の点が父だ。

辺りにもう 昆布漁師は居ない。

おおかた拾って みんな早々と引き上げていった。



我慢とか 忍耐 っていうのは ただジッとこらえること なんかじゃなく

どんなにどん底だとしても 一歩でも 半歩でも 

ほんの少しでも 前に進もうとする努力を やめないことなんだと知った。


『昆布 一本でも。。。』っていう姿勢から。


いつだったか 誰かに

『親を尊敬しているんでよ?』と聞かれ 謙遜しつつ返答を誤魔化したことがある。

実際、尊敬なんかしていない という反骨精神みたいなものがあるし

世の中、尊敬に値する人は ほど遠い世界に沢山思い当たる。


けど、こんな親の生きる姿勢に 私は


心が   打たれる。    


2012.9 052

『我慢の限界』ってことは 有り得る?

そんなもの我慢って言わない っていうのが私の結論だし、全ては発想の転換次第。

何でもそう。



行き詰ったら 角度を変えたらいい。

カギは自分が握ってるってこと。



諦める理由を探すようなことだけは絶対しないし 

渦潮にも そしてこんな父にだって負けたくないって 私は思ってる。



渦潮に飲み込まれて 真っ暗闇の中でだって 

しっかり舵握って 耐えしのぐことができたらからこそ見えてくるものって 

必ずあると思う。



そういうことが生きるってことの土台であり 要な気がする。



そんな土台なくして 何事も成し遂げられるわけがない。



続けたくても、そうではない決断をしなくてはならない日が

来ないとも限らないのだから。



どんな状況にも 屈しない強さを見に付けなくては 話にならない。




血迷うくらいならとりあえず 腹が立っても 悔しくても 辛くても どんなに苦しくても

いつだって笑っってるほうがいい。


運が見方してくれますように。




。。。笑って♪


2012.9 034

おッ。いーーじゃん♪


やりたいことも やるべきことも 尽きないよ。

だからこれからだって出来る限り休まず 出来る限り無理してく。



一緒に夢にて 頑張った先にあるものを

私は 絶対に見たいから。
 

なーんて  『気持ちだけだな』 って笑われちゃうか(笑)

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哀悼。

久しぶりの更新となりましたが、

ご訪問くださいましたみなさま 本当にありがとうございました。



実は、宮城県の大叔父(通称 内地のおじさん)の訃報を受け、

両親はすぐに宮城県へ経ちましたが、

幼い子供たちを連れていっては 迷惑になるので 私たちは留守番。


葬儀が終わるまで ただ 悼んでおりました。


私の生涯で 大叔父に会ったことは3回しかありません。


それなのにこんなにも身近で、家族にとって最愛で偉大な存在であるのは、

亡くなった祖母との姉弟の絆、

父を含めた甥、姪と叔父の絆、

私たち世代と大叔父との絆、

そしてまた子供たちへの愛情に至るまで

大叔父の人柄をずーっと幼い頃から常に感じてきたし、

家族同様です。


月に1~2回は『変わりはないか?』と電話をかけてきてくれました。

地震や台風前も必ずです。

大叔父がいつも送ってくれるカツオは世界一美味しかった。



東日本大震災で助かったときの喜びを分かち合ったときに

『死ぬ前に オマエたちにもう一度会ってみたいもんだなー』と笑っていたのが最後となってしまいました。



宮城県船頭会の会長を何年も勤めた経験もあり、大叔父も海を愛し、海に生きたひとでした。

震災により 故郷を失った悲しみを思うと言葉になりません。



いつまでも元気でいてくれるものと思っていたので

元気なときに会いに行けなかったことの 後悔だけが 取り残されて。

受け入れたくなくて。。。

心の整理が。。。どうしてもできません。



寂しいです。


寂しくて寂しくて 仕方ないです。



でも、私に限らず 大叔父から愛された人や愛したひとの

心で生き続けることに変わりはないし、

想いを活かすこと、受け継ぐことが 私たちの役割だと思うので



悲しみを乗り越える強さを 持ちたいです。



両親が帰宅したときに、宮城県の親戚から譲り受けてきたDVDです。

【東日本大震災 ~3.11気仙沼の記録~第1巻】

気仙沼ケーブルネットワークの社員が、震災直後からその後の復興にかける
気仙沼市民の様子を収録したもので、震災被害を風化させず、未来に残す
貴重な映像資料としてご活用ください。とあります。

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大叔父が最後にみたものでしょう。

私はまだ みることができずにいます。


未曾有の震災から9ヶ月が過ぎました。

東日本大震災による被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

一日も早い復興を心から願い、

少しでも自分にできる事を続けてまいります。



  

    内地のおじさん   ありがとう。










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