がんばろう!!
先日、お世話になっているご夫妻にお会いした際
立ち話しではありましたが、ご主人が声をかけてくださいました。
『ブログ全然更新してくれないねー!頼むよ!俺の楽しみなんだからね!』
そんなご主人の後を、いつもとかわらない満面の笑顔で追いかけてきた奥様。
お二人のニコニコな笑顔にハッとさせられました。
ありがとう♪
3月11日
子供たち2人を連れて、根室市街へ出掛けていたときの大地震。
あの不気味なほど静かに長くゆれる地震に、ただ事ではないような胸騒ぎを感じていました。
花咲港が津波で浸水という情報を耳にし、携帯電話を自宅に忘れてきた私は
家族が心配していると思い、海沿いのすでに通行止めになっていた国道をあわてて帰宅したのです。
途中の海岸では異様なほど潮が引き、見たことが無い景色に変わっていました。
震える足で思いっきりアクセルを踏み、騒ぐ子供に怒鳴っていました。
家には誰も居なくて、居たはずの主人はホタテ船がある尾岱沼へ向かったのだと思うと
ますます不安になりました。
二階の窓から見える小学校の屋上にも人がみえます。
歯舞港から次々と船が沖へ避難していきます。
繰り返し鳴り響くサイレンとアナウンス。
目の前の海は潮が大きく引いたり、満ちたりを静かに不気味に繰り返していました。


震源地が東北沖とわかり、血の気が引いた感覚を今でも忘れません。
私の祖母の実家は宮城県気仙沼市。
私も幼い頃行ったことがありますがとっても素晴らしいところです。
1月に旅行で東北道を通った景色が鮮明に蘇り、おじさんに会ってこなかったことを後悔しました。
父は2月に東京へ出張の帰り、何十年ぶりに叔父さんに会う為気仙沼に立ち寄ってきたばかり。
父にとってもふるさとなのです。
祖母はすでに他界しておりますが、宮城県に居る祖母の弟は頻繁に我が家をきずかってくれていて
震度4以上の地震がくると必ず電話をかけてくるのですが、
こちらからも一向に繋がらなかった事が不安を募らせました。
それからというもの、パソコンと携帯だけを頼りに
自分の時間のすべてを安否情報収集に費やす日々が何日も続きました。
父から渡された今年の年賀状を頼りに、父の友人たちの情報も検索しました。
ご家族笑顔での写真には小さいお子さん達の笑顔もあり、住所は陸前高田市、南三陸町。。。
しばらくして宮城県の親戚は全員無事とわかりました。
それでも、おじさんの住む集落は200世帯のうち180世帯が流され
おじさんの家もすべて無くなってしまったそうです。
あと1分遅かったら、おじさんもダメだったと聞きました。
生きていてくれたことに、そのことだけの奇跡にただただ感謝です。
そんななかで、家族全員が犠牲となってしまった知人もいるという現実。
情報収集している際は、書き込みからたどっていろんな方々が連絡をくださいました。
対応が本当にご親切で、心がこもっていて、人とはこんなにも温かいものかと感激の連続でした。
名前も知らなかった遠い親戚の方も掲示板を見てくれたことにより
貴重な情報交換することができたことには、まさに絆を感じました。
避難所の避難者リストの画像からも、知人ご家族の安否も確認することができました。
私の心がなかなか立ち直れないでいるのは
このような地獄の惨劇を目の当たりにした恐怖、被害にあわれた方々のすさまじい体験
今でも愛するご家族を探している方々の心痛
放射能という見えない恐怖
ひとつひとつを言葉で収めきれないたくさんのことがありますが
あの日私は、避難しなかったということ。
急いで帰宅したという間違った行動。
もしも、大津波がきていたら子供2人を守れなかったに違いないのです。
幸いにも救われた命ですから、一生懸命生きて行かなければいけないと強く思っています。
頑張れ東北! じゃなくって
頑張ろう日本!!!です。
本当にほんとうにみんなでがんばろうね!!
ブログを更新していないにもかかわらず
度々ご訪問してくださっていたみなさま、待っていてくれる方々
感謝の気持ちでいっぱいです。
こんなふうに支えられることもあるんだなーと温かさが心にしみわたってきます。
本当にありがとう。
いつも応援してくれて感謝しています♪
↓ こんなことも始めてみました。
クリックしていただけると 助かります♪ありがとう♪

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『ブログ全然更新してくれないねー!頼むよ!俺の楽しみなんだからね!』
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お二人のニコニコな笑顔にハッとさせられました。
ありがとう♪
3月11日
子供たち2人を連れて、根室市街へ出掛けていたときの大地震。
あの不気味なほど静かに長くゆれる地震に、ただ事ではないような胸騒ぎを感じていました。
花咲港が津波で浸水という情報を耳にし、携帯電話を自宅に忘れてきた私は
家族が心配していると思い、海沿いのすでに通行止めになっていた国道をあわてて帰宅したのです。
途中の海岸では異様なほど潮が引き、見たことが無い景色に変わっていました。
震える足で思いっきりアクセルを踏み、騒ぐ子供に怒鳴っていました。
家には誰も居なくて、居たはずの主人はホタテ船がある尾岱沼へ向かったのだと思うと
ますます不安になりました。
二階の窓から見える小学校の屋上にも人がみえます。
歯舞港から次々と船が沖へ避難していきます。
繰り返し鳴り響くサイレンとアナウンス。
目の前の海は潮が大きく引いたり、満ちたりを静かに不気味に繰り返していました。


震源地が東北沖とわかり、血の気が引いた感覚を今でも忘れません。
私の祖母の実家は宮城県気仙沼市。
私も幼い頃行ったことがありますがとっても素晴らしいところです。
1月に旅行で東北道を通った景色が鮮明に蘇り、おじさんに会ってこなかったことを後悔しました。
父は2月に東京へ出張の帰り、何十年ぶりに叔父さんに会う為気仙沼に立ち寄ってきたばかり。
父にとってもふるさとなのです。
祖母はすでに他界しておりますが、宮城県に居る祖母の弟は頻繁に我が家をきずかってくれていて
震度4以上の地震がくると必ず電話をかけてくるのですが、
こちらからも一向に繋がらなかった事が不安を募らせました。
それからというもの、パソコンと携帯だけを頼りに
自分の時間のすべてを安否情報収集に費やす日々が何日も続きました。
父から渡された今年の年賀状を頼りに、父の友人たちの情報も検索しました。
ご家族笑顔での写真には小さいお子さん達の笑顔もあり、住所は陸前高田市、南三陸町。。。
しばらくして宮城県の親戚は全員無事とわかりました。
それでも、おじさんの住む集落は200世帯のうち180世帯が流され
おじさんの家もすべて無くなってしまったそうです。
あと1分遅かったら、おじさんもダメだったと聞きました。
生きていてくれたことに、そのことだけの奇跡にただただ感謝です。
そんななかで、家族全員が犠牲となってしまった知人もいるという現実。
情報収集している際は、書き込みからたどっていろんな方々が連絡をくださいました。
対応が本当にご親切で、心がこもっていて、人とはこんなにも温かいものかと感激の連続でした。
名前も知らなかった遠い親戚の方も掲示板を見てくれたことにより
貴重な情報交換することができたことには、まさに絆を感じました。
避難所の避難者リストの画像からも、知人ご家族の安否も確認することができました。
私の心がなかなか立ち直れないでいるのは
このような地獄の惨劇を目の当たりにした恐怖、被害にあわれた方々のすさまじい体験
今でも愛するご家族を探している方々の心痛
放射能という見えない恐怖
ひとつひとつを言葉で収めきれないたくさんのことがありますが
あの日私は、避難しなかったということ。
急いで帰宅したという間違った行動。
もしも、大津波がきていたら子供2人を守れなかったに違いないのです。
幸いにも救われた命ですから、一生懸命生きて行かなければいけないと強く思っています。
頑張れ東北! じゃなくって
頑張ろう日本!!!です。
本当にほんとうにみんなでがんばろうね!!
ブログを更新していないにもかかわらず
度々ご訪問してくださっていたみなさま、待っていてくれる方々
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