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北海道新聞『日ロ現場史』

北海道新聞 夕刊 『日ロ現場史』という連載の

2月22日 第2部 平和の海 『15歳の抑留者』 という記事があり、

この人物が、我が父のことです。


昨年より、数度にわたり取材をお受けしており、、
51年前の大量拿捕事件のことを、
まるで昨日の事のように軽快に、冗談を交えながら、
そして時折、記者さんの質問にも流暢に答えながら話す父の話しを
私は、興味深く聞いていました。

小さい頃から、なんとなくいつも聞かされていた話しです。
私の中ではまるで子守唄に似た、眠る前の昔話しであり、
それを心地よく聞き流す程度のときもありました。
でもこの時ばかりは、真剣に聞き入っていたのです。

なぜなら、記者の方が、父の話に一喜一憂するかのように時には大笑いし、
父が1話すと10理解されて、どんどん背景が、経緯が見えてきて、
どんどん引き込まれていったのです。

父の子守唄のような昔話しと、歴史を結びつけてくれたのが
この記者の方なのです。

画像24.2取材中

51年前の大量拿捕事件で拿捕されたなかで、最年少15歳だったのが父でした。


【新聞記事を参考にし、かいつまんで引用させていただきます】


中学を卒業したばかりの父は、父親の昆布漁船の相方が休んだため、
代役として、初めて漁船へ乗り込んだ。

水晶島の目の前でコンブを採っていたら、
国後島の方よりソ連の警備艇が現れ、逃走するも3方面から挟み撃ちにあい、
追いつかれ、飛び移ってきた隊員にエンジンを切られ捕まった。

警備艇は浅瀬に入れないため、父親の船を使って、逃げた漁船を一隻づつ捕まえていく。

逮捕劇は朝から昼間で続き、その様子を観光客や住民、漁民100人余りが
手に汗を握りながら見守ったといいます。

まるで映画のような悲惨な光景だったそうです。

捕まった漁船 計13隻、32人。
父らは色丹島に連行され、船上で一夜を明かし、翌日からは父親は収容所へ。

収容所が満員だったため、当時15歳の父は隣にテントをあてがわれたそうです。

取調べに対して父は、『泣き真似をしていれば調べられない』と、
ずっと嘘泣きを通した。

1~2歳年上の高校生は作業を免除されていたが、父は体格が良かったので
父親と一緒に水汲みや草刈などの労働を強いられたようです。

粗末な食事、空腹に耐え
毎晩のように母親と、家の夢を見たと。

そのころ日本では大騒ぎになっていて、全国で署名運動を開始し
嘆願書が提出され、外務省はソ連政府に対して釈放を要求。

そのおかげで、一ヶ月経たずに服役することもなく、全員釈放
船体も返還されたのは珍しかったそうです。

帰還した父のもとには道知事などが訪れたほか、全国から激励の手紙や
マスコミの取材が殺到し
父は、スターにでもなったかのような気分でもあり、
『これで頑張れる』という気持ちだったと。

画像24.2 032

怖いとか、不安、ということはありませんでしたか?と、
記者の方の質問に

『怖いとかは全く思わなかったねー。
ただ、昆布を採れないから家のこと、母親、妹たちが困っているだろうと、
そのことだけだったねー。』

当時15歳の父です。


画像24.2 030

私は、一人でこの連載を拝読いたしまして
涙が止まりませんでした。

小さい頃、熊みたいな手も服も汚くて、重油の匂いがする父が嫌でした。
スーツを着て、会社へ勤めるお父さんを羨ましく思ったことがあります。

なぜかそんな幼少期の自分を思い出し、恥じていました。




この事件がきっかけとなり、日ロ民間協定が結ばれ
『貝殻島コンブ漁』の安全操業が実現しました。

ブログ右側のカテゴリ『貝殻島昆布漁』でも漁の様子をご紹介しております。


掲載後、父の知人の方々より『新聞みました』とお電話をいただきました。
温かいお気持ちに感謝しております。

そして、この記者の方は凄い方なのだと知らされました。

このような素晴らしい記事で歴史を教わり、またご縁に感謝しております。
ありがとうございました。

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